日本を代表する人気お笑いコンビ「ダウンタウン」のメンバーとして活躍する浜田雅功さん。
そんな浜田さんですが、高校時代は全寮制の学校で地獄のような日々を過ごしていたのでしょうか。
また、浜田さんの生い立ちや芸能界に入るまでの道のりはどのようなものだったのでしょうか。
この記事では、浜田雅功さんの波瀾万丈な人生について詳しく見ていきます。
それでは早速本題に入っていきましょう。
浜田雅功の高校は全寮制で地獄だった?

テレビで鋭い突っ込みを入れる姿が印象的な浜田雅功さん。
そんな浜田さんですが、高校時代は想像を絶する厳しい環境で過ごしていたのでしょうか。
浜田さんが通っていた高校は、三重県にある「日生学園第二高等学校」(現在の青山高等学校)という全寮制の学校でした。
この学校は当時、非常に厳しい生活指導や規律で知られており、生徒たちは厳格な寮生活を送っていました。
浜田さんの高校生活は、まさに「地獄」と呼べるほどの過酷なものだったようです。
朝4時起床、24時間私語禁止、新聞やテレビなどの娯楽の完全禁止など、想像を絶する厳しいルールがありました。
さらに、便器を素手で洗うことを強要されたり、体罰が日常茶飯事だったりと、現代では考えられないような環境でした。
浜田さんは1年生の時に一度脱走を試みたこともあります。
しかし、親の説得もあって学校に戻り、最終的には3年生の時に副学寮長を務めるまでになりました。
浜田雅功さんの高校時代は、まさに「地獄」と呼べるほどの厳しい全寮制の生活だったことがわかります。
「罰として11時間正座」「素手でトイレを磨く」
出典:KODANSHA
浜田雅功の生い立ち

鋭い突っ込みと独特の関西弁で人気の浜田雅功さん。
そんな浜田さんですが、どのような生い立ちだったのでしょうか。
浜田雅功さんは1963年5月11日に大阪府大阪市浪速区で生まれ、兵庫県尼崎市で育ちました。
家族構成は両親と妹の4人家族で、父親はペンキ職人として働いていました。
幼少期は裕福な家庭でしたが、小学校低学年の時に父親が保証人になっていた知人の会社が倒産し、家計が急変しました。
この影響で生活が苦しくなり、借金のためヤクザが毎日取り立てに来るなど、厳しい環境で育ちました。
中学時代には、後にコンビを組むことになる松本人志さんと出会い、6人組の悪ガキグループを結成。
相当なやんちゃぶりで、女子の下着を盗もうとするなどの悪さを働いていました。
浜田雅功さんの生い立ちは、裕福な家庭から一転、厳しい環境で育ち、やんちゃな少年時代を過ごしたことがわかります。
浜田雅功の芸能界までの波瀾万丈な道のり
1983年のダウンタウン⑩@retoro_mode#ダウンタウン#松本人志#浜田雅功 pic.twitter.com/h6cCWqCkaZ
— 🌆夕やけのダウンタウン🌆 (@VXjD44tTCpi61CB) February 10, 2022
数々の人気番組で活躍し、日本を代表する芸人となった浜田雅功さん。
そんな浜田さんですが、芸能界に入るまでの道のりはどのようなものだったのでしょうか。
高校卒業後、浜田さんは競艇選手の試験を受けましたが不合格。
その後、うめだ花月の前の看板を見てNSC(吉本総合芸能学院)の開校を知り、中学時代の同級生である松本人志さんを誘って面接に参加しました。
1982年、NSCの第1期生として入学し、芸能界への第一歩を踏み出しました。
コンビ名は「松本・浜田」から始まり、「まさし・ひとし」「ライト兄弟」を経て、1983年に「ダウンタウン」に決定しました。
下積み時代は苦労の連続で、月謝が払えなくなりスナックでアルバイトをしたり、車内で生活したりすることもありました。
ブレイクのきっかけは、24歳の時(1987年)に出演した毎日放送の「4時ですよーだ」。
これをきっかけに関西圏で人気が出始め、1988年10月からの「夢で逢えたら」出演により全国区の人気者となりました。
1989年には「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」、1991年には「ダウンタウンのごっつええ感じ」が始まり、トップ芸人としての地位を確立しました。
浜田雅功さんの芸能界までの道のりは、苦労と努力の末に大成功を収めた波瀾万丈なものだったことがわかります。
まとめ
浜田雅功さんの人生は、幼少期の貧困体験、地獄のような全寮制高校生活を経て、芸能界で大成功を収めるという、まさに波瀾万丈なものでした。
特に日生学園での3年間は「地獄」と表現するほど過酷な体験でしたが、それが後の精神的な強さにつながっているのかもしれません。
現在も第一線で活躍を続ける浜田さんの背景には、このような壮絶な経験があったのです。
コメント