ミラノ・コルティナ冬季オリンピックで2大会連続の銅メダルを獲得した堀島行真さん。
世界トップクラスの滑りで日本中に感動を与えた堀島行真さんですが、その輝かしい成績の裏には家族の献身的なサポートがあったことをご存知でしょうか。
特に父親の行訓さんは元教員という経歴を持ちながら、息子のために独自のトレーニング方法を編み出し、二人三脚で世界の頂点を目指してきました。
そこで今回は、
- 堀島行真さんの父親が元教員だったこと
- ミラノ五輪銅メダルを支えた1日50本練習と映像分析の日々
について詳しく見ていきましょう。
堀島行真の父は元教員!

1997年12月11日生まれ、岐阜県揖斐郡池田町出身の堀島行真さん。
2017年の世界選手権では日本男子として史上初めてモーグルとデュアルモーグル両方の金メダルを獲得し、2022年北京五輪と2026年ミラノ・コルティナ五輪で2大会連続の銅メダルに輝いた堀島行真さんですが、そんな堀島行真さんのお父様はどのような方なのでしょうか。
堀島行真さんの父親は行訓さんといい、元小学校教員という経歴を持つ教育者でした。
行訓さんはスキー愛好家でもあり、幼い頃から行真さんの練習を全面的に支えてきました。
教員として平日は学校で教鞭を執りながら、休日は息子のコーチ兼運転手として献身的にサポートする日々を送っていたそうです。

行訓さんは自宅の駐車場に大型トランポリンを設置したり、雪がない時期でも練習できるよう斜面に人工芝を敷くなど、環境をゼロから構築しました。
「自分はスキーの専門家ではないが、体の動かし方は教えられる」という信念のもと、教員としての知見を全て注ぎ込んだといいます。
週末には夜通し車を走らせてスキー場へ向かい、遠征費などの経済的負担も大きかったそうですが、公務員として働きながら家族全員でモーグルという「お金のかかる競技」を支え続けてきました。
行訓さんは単なる送り迎え役ではなく、技術形成や日々の練習計画まで深く関わった「師弟」的存在だったと評価されています。
また、母親の則子さんは栄養管理や食事面での支援を行い、試合前後のメンタルサポートで行真さんを支えてきました。
厳格な父に対し、母の則子さんは「心の港」のような存在で、試合で結果が出ない時期も「行真なら大丈夫」と温かく見守り続けたそうです。
さらに姉の有紗さんも元モーグル競技者で、兄妹で競技に打ち込んだことで競争心や切磋琢磨する環境を家庭内に生み出しました。
有紗さんは「行真よりセンスがあった」と言われるほどの実力者で、現在は指導者として弟の滑りを精神面で支えているといいます。
このように、堀島行真さんの父親は元教員という経歴を持ち、教育者としての知見を活かしながら息子を世界トップレベルの選手へと育て上げた方でした。
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ミラノ五輪銅メダルを支えた1日50本練習と映像分析

高難度エア「コーク1440」を90%の確率で成功させるまでに技術を磨き上げた堀島行真さん。
そんな堀島行真さんですが、その世界トップクラスの技術はどのようにして培われたのでしょうか。
堀島行真さんのミラノ五輪銅メダルを支えたのは、小学生時代から続けてきた1日50本以上のウォータージャンプ練習と、父親との徹底的な映像分析の日々でした。
堀島行真さんは小学生の頃から、毎夏父親の行訓さんと片道1時間以上かけてウォータージャンプ場へ通っていました。
そこで1日50本以上のジャンプ練習をこなし、練習後には父親が撮影した映像を見返して感想や分析をノートに書き込むという毎日を送っていたそうです。
このノートは「ウォータージャンプ日記」と呼ばれ、1時間以上かけて日々びっしりと書かれていました。
内容には「やりたい技」「つかんだ感覚」「失敗の原因」などが細かく記録されていたといいます。
行訓さんは「やりたい技、つかんだ感覚、失敗の原因などをビデオを見ながら考えていました。好きこそ物の上手なれ。ウォータージャンプ日記が今のエアにつながっているのかもしれません」と語っています。
この日記は、映像分析を活かした父と子の反復練習サイクルであり、単なる情熱だけでなく「考える練習」を積み上げた証拠でもあります。
具体的な練習例
| 練習内容 | 方法 | 目的 |
|---|---|---|
| ウォータージャンプ練習 | 夏場に毎日50本以上ジャンプ | 空中感覚・エア技の精度向上 |
| 映像撮影 | 毎回のジャンプを撮影 | 技術の可視化、改善点の発見 |
| 日記記録 | 漢字・文章で毎日分析 | 思考の整理、改善の定着 |
| 駐車場トランポリン | 雪のない季節に体幹・空中感覚強化 | 一年を通じた技術基盤形成 |
行訓さんは練習ごとに行真さんのジャンプや滑りをビデオ撮影し、それを本人と一緒に見ながらどういう技術や動きができたか、できなかったかを分析していました。
映像は100本以上のDVDに記録され、行真さんの「身体感覚を可視化するツール」として活用されたそうです。
観た映像をベースに練習の課題と改善点を整理するという習慣が、技術精度を高めていくことに直結しました。
失敗の映像や成功の映像を見返すことで、次の練習に活かす「明確な改善ポイント」を示すことができたのです。
行真さん自身も、普段からトレーニングで特に意識していることとして「体の姿勢」や「正しい基本動作の積み重ね」を挙げています。
「モーグルの滑りでは、スピードが出るほど足の動きが早くなり、正しい体の姿勢を常に保てるよう24時間意識して生活している」と語ったこともあるそうです。
これは日々基礎を繰り返すだけでなく、普段の生活から身体の使い方を意識する習慣づけまで落とし込んでいることを示しています。
また、大会前には「体のコンディションはすごくいい。プレッシャーがかかるので、目標は言わないが、皆さんも思っているところをしっかり狙いたい」と語り、日々練習で積み上げた心の準備があることをうかがわせました。
公式練習では「4回転(コーク1440)は確実に跳べる台だ」と自信を見せており、父親との映像分析や日記で積み重ねた練習が実際の大会での自信につながっていることが読み取れます。
北京オリンピック当時、行真さんは「自分のお金ではないので申し訳ない」と言いながらも、父親の行訓さんとけんかしつつ練習環境を求めて努力したというエピソードも報じられています。
また、幼い頃に昆虫観察日記を書いていた経験が、後のウォータージャンプ日記やモーグル日記につながったとも言われています。
日記を書くことによって頭を整理しながら練習してきたことが、競技力を高める原動力になったのです。
北京五輪での銅メダル以降、堀島行真さんは「金」を掴むためにあえて「修羅の道」を選びました。
2024年にはさらなる高みを目指して単身ノルウェーへ拠点を移し、日本にはない屋内練習施設で空中感覚を徹底的に研ぎ澄ませました。
趣味の将棋を通じて「金メダルから逆算した緻密な練習計画」を遂行する姿は、藤井聡太九段に例えられるほどの理論的なアプローチだったそうです。
このように、堀島行真さんのミラノ五輪銅メダルは、小学生時代から続けてきた1日50本以上の練習と父親との映像分析、そして「考える練習」の積み重ねによって支えられていました。
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まとめ
堀島行真さんの父親は元小学校教員の行訓さんで、教育者としての知見を活かして息子を世界トップレベルの選手へと育て上げた方でした。
ミラノ五輪銅メダルを支えたのは、小学生時代から続けてきた1日50本以上のウォータージャンプ練習と、父親との徹底的な映像分析の日々でした。
「ウォータージャンプ日記」という独自の練習法を通じて、映像分析と思考の整理を繰り返し、世界トップクラスの技術を身につけていったのです。
これからも堀島行真さんのご活躍を応援していきましょう。
それではありがとうございました。

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