甲斐優斗が語る亡き父への想いとは?最年少代表の涙の原点に迫る!

パリ五輪に挑む男子バレーボール日本代表の中で、ひときわ注目を集めている甲斐優斗さん。

そんな甲斐優斗さんですが、亡くなった父への深い想いが、代表入りの背景にあったのでしょうか。

そこで今回は

  • 亡き父への想いとは?
  • 甲斐優斗の涙の原点
  • まとめ

主にこれらについて追っていきます。

それでは早速本題に入っていきましょう。

目次

甲斐優斗が語る亡き父への想いとは?

どんな局面でも笑顔を絶やさずチームに貢献する甲斐優斗さん。

そんな甲斐優斗さんですが、現在のプレースタイルや心の強さには、父から受けた教えが影響しているのでしょうか。

父晃宏さんは9人制バレーの実業団選手。

そして地元での指導者として子どもたちを育て続けました。

甲斐優斗さんは、小学2年生のときに父・晃宏さんが監督を務めるクラブに入団しました。

指導者としての父はとても厳しく、特に息子である優斗さんには厳しい目を向けていたそうです。

一方で家では優しい父であり、プレーに悩んだときは常にそばで支えてくれる存在だったといいます。

2020年、高校2年生の時、父・晃宏さんは大腸がんのため48歳という若さで亡くなりました。

父晃宏さんが大腸がんのため48歳で急逝した

出典:毎日新聞

晃宏さんが入退院を繰り返すなか、容体が悪化し、甲斐優斗さんが病院に駆けつけた際に「頑張れ」と声をかけてくれたのが最後の言葉だったそうです。

その一言は今も、どんな大舞台に立つときも心の支えになっていると語られています。

父の夢は、息子が日本代表として活躍する姿を見ることでした。

その夢を叶えるように、甲斐優斗さんはパリ五輪の舞台に立ちます。

厳しくも優しい父の教えが、今も甲斐優斗さんの競技人生を強く支えているようでした。

甲斐優斗の涙の原点

堂々としたプレーとチームを引っ張る明るいキャラクターが魅力の甲斐優斗さん。

そんな甲斐優斗さんですが、どのような経歴を経て、男子バレーボール日本代表の最年少選手となったのでしょうか。

甲斐優斗さんは宮崎県延岡市出身のバレーボール選手で、現在は専修大学に在学中の20歳です。

小学2年生の頃、父・晃宏さんが監督である延岡のバレーボールクラブに入団し、バレー人生が始まりました。

身長が高く、小学生の頃からチームをリードする存在だったといいます。

中学時代も実力を伸ばし、県内でも有名な日南振徳高校に進学。

高校3年生の時にはエースとして春高バレーに初出場して、チームをベスト4に導きました。

その頃には身長が200センチに達し、全国的にも注目を集める存在となっていました。

卒業後は専修大学へ進学し、2022年には10代で日本代表に初選出されます。

パリ五輪を目前に控えた2024年、男子日本代表の最年少選手としてメンバー入りを果たしました。

甲斐優斗さんのプロフィールと五輪出場までの歩みは、少年時代からの努力と着実な成長により実現したようでした。

まとめ

甲斐優斗さんの現在の活躍の背景には、父・晃宏さんの深い愛情と指導がありました。

9人制バレーの実業団選手として、そして地元での指導者として子どもたちを育て続けた晃宏さん。

その情熱と信念は、今も息子である甲斐優斗さんのプレーの中に息づいています。

「頑張れ」という父の最後の言葉を胸に、最年少代表として五輪の舞台に挑む甲斐優斗さん。

父とともに歩んできたバレー人生の先に、どんな未来が待っているのか。

その姿を、これからも応援していきたいと思います。

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