JO1のメンバーとして活躍してきた鶴房汐恩さん。
そんな鶴房汐恩さんですが、2025年12月31日をもってグループを脱退することが発表され話題となっています。
鶴房汐恩さんの性格はどのようなものなのでしょうか。
生い立ちから芸能界デビューまでの経緯も気になりますよね。
JO1脱退の鶴房汐恩の性格は?
「永遠の反抗期」というキャッチフレーズで知られる鶴房汐恩さん。
そんな鶴房汐恩さんですが、実際の性格はどのようなものなのでしょうか。
鶴房汐恩さんは「永遠の反抗期」というキャッチフレーズで親しまれていました。
オーディション番組『PRODUCE 101 JAPAN』の初回放送では、審査員に対して尖った態度を見せるなど「生意気キャラ」として注目されました。
しかし実際はメンバー思いで涙もろい一面があったそうです。
ファンからは「態度はデカいが、気は優しい」「素直になれないツンデレ」として愛されていました。
また鶴房汐恩さんは嘘がつけない真っ直ぐな性格で、感情が顔に出やすいタイプだったとのことです。
その人間味あふれるキャラクターが、多くのファンを惹きつける魅力となっていました。
さらに鶴房汐恩さんは家族や仲間思いの性格でもありました。
特に父親との仲が良いことで知られ、オーディション中も家族への感謝を口にする場面が多々あったそうです。
メンバーに対しても、不器用ながら深い愛情を持って接していたエピソードが多く語られています。
鶴房汐恩さんの性格は、「永遠の反抗期」というキャッチフレーズとは裏腹に、情に厚く繊細で優しい性格だったようです。
(スポンサーリンク)
鶴房汐恩の生い立ち
JO1のメンバーとして人気を集めてきた鶴房汐恩さん。
そんな鶴房汐恩さんですが、どのような生い立ちだったのでしょうか。
鶴房汐恩さんは滋賀県生まれ、兵庫県神戸市育ちです。
小学生の頃から水泳を習い、体力と精神力を培いました。
高校時代には、大阪で友人と遊んでいたところをスカウトされます。
これがきっかけで芸能界への道を強く意識するようになりました。
2017年には、男子高生ミスターコンの関西地区候補に選出された経歴もあります。
スカウトを機に「デビューを確約する」という言葉を信じ、高校を中退して単身韓国へ渡りました。
韓国の大手事務所の練習生として約10ヶ月間過酷なトレーニングを積みました。
最終デビュー候補メンバーまで残りましたが、デビュー直前で選考から漏れ、夢破れて帰国することになります。
帰国後は、地元のコンビニエンスストアなどでアルバイトをしながら、再起のチャンスを伺っていました。
鶴房汐恩さんの生い立ちは、滋賀県で生まれ兵庫県で育ち、高校時代にスカウトされて韓国へ渡るも挫折を経験した苦労人だったようです。
(スポンサーリンク)
鶴房汐恩の芸能界デビューまで
韓国での挫折を経験した鶴房汐恩さん。
そんな鶴房汐恩さんですが、どのようにして芸能界デビューを果たしたのでしょうか。
2019年、鶴房汐恩さんは日本で開催されたサバイバルオーディション番組『PRODUCE 101 JAPAN』に参加しました。
「これが最後のチャンス」という覚悟で挑んだそうです。
韓国での経験を生かしたダンスやラップ、そして隠しきれない華のあるビジュアルで常に上位をキープしました。
最終順位5位でJO1のメンバーとしてデビューを掴み取りました。
2020年のデビュー以降、ラップやボーカル、ムードメーカーとしてグループを牽引しました。
俳優としてもドラマ『ブルーバースデー』で主演を務めるなど活躍の場を広げていました。
しかし2025年6月、オンラインカジノの利用が発覚し書類送検されたとの報道を受け活動を自粛していました。
その後、自身の進退について熟考した結果、2025年12月31日をもってグループを脱退し事務所を退所することが正式に発表されました。
鶴房汐恩さんの芸能界デビューまでは、『PRODUCE 101 JAPAN』で最終順位5位となりJO1のメンバーとしてデビューを果たしたようでした。
(スポンサーリンク)
まとめ
今回はJO1を脱退する鶴房汐恩さんについて調べてみました。
鶴房汐恩さんの性格は、「永遠の反抗期」というキャッチフレーズとは裏腹に、情に厚く繊細で優しい性格でした。
生い立ちは、滋賀県で生まれ兵庫県で育ち、高校時代にスカウトされて韓国へ渡るも挫折を経験した苦労人でした。
芸能界デビューは、『PRODUCE 101 JAPAN』で最終順位5位となりJO1のメンバーとしてデビューを果たしました。
一度は韓国でデビューの夢を絶たれながらも、不屈の精神でJO1としての成功を掴んだ鶴房汐恩さん。
今回の脱退は残念な形となりましたが、約5年間の活動で見せたパフォーマンスや飾らない人柄は多くのファンの記憶に残っています。

コメント