M-1グランプリ2023で準優勝を果たし、一躍全国区の人気芸人となったヤーレンズの出井隼之介さん。
そんな出井さんですが、華やかな舞台の裏には長い下積み時代があったことをご存知でしょうか。
今回は、出井さんがM-1準優勝までに歩んだ道のりと、諦めなかった芸人としてのリアルな姿に迫ります。
ヤーレンズ出井|M-1準優勝までの13年とは?
M-1グランプリ2023で準優勝という快挙を成し遂げた出井隼之介さん。
そんな出井さんですが、この栄光の裏にはどのような道のりがあったのでしょうか。
出井さんは2011年9月に相方の楢原真樹さんとコンビを結成しました。
当初のコンビ名は「パープーズ」で、大阪を拠点に活動していました。
しかし、結成当初は仕事もライブもほとんどない日々が続きました。
楢原さんは後に「4年間何もしていなかった」と振り返るほど、厳しい時期だったといいます。
2014年に転機が訪れます。
出井さんたちは東京に進出し、コンビ名を「ヤーレンズ」に改名しました。
ケイダッシュステージに所属し、ここから年間数百ステージという圧倒的な数のライブをこなすようになります。
2015年からはM-1グランプリに挑戦を開始しましたが、なかなか決勝の壁を破ることができませんでした。
2022年にようやく準決勝に進出しましたが、決勝進出は叶いませんでした。
そして2023年、結成12年目にして念願のM-1グランプリ決勝進出を果たします。
敗者復活戦からではなく、ストレートで決勝に上がり、さらに準優勝という結果を残しました。
出井さんのM-1準優勝までの13年間は、2011年のコンビ結成から2023年の準優勝まで、空白の4年間や年間数百ステージという地道なライブ活動を経て、ついに花開いた道のりでした。
そしてM-1グランプリ2025でも決勝に進出しました。
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ヤーレンズ出井の”諦めなかった芸人”のリアル

M-1準優勝という栄光を手にした出井隼之介さん。
そんな出井さんですが、諦めずに芸人を続けた理由には、どのような想いがあったのでしょうか。
出井さんは1987年3月2日生まれで、神奈川県横浜市出身です。
中学1年までは横浜で暮らしていましたが、その後兵庫県神戸市に転居しました。
高校は進学校として知られる須磨学園高等学校を卒業し、甲南大学に進学しました。
しかし、大学は1年で中退し、お笑いの道を志して吉本総合芸能学院大阪校29期生として入学しました。
高学歴という選択肢がありながら、お笑いの道を選んだ出井さん。
結成当初の「空白の4年間」は、経済的にも精神的にも非常に厳しい時期だったといいます。
それでも出井さんは諦めませんでした。

東京進出後は年間数百ステージという圧倒的な数のライブをこなし、漫才の技術を磨き続けました。
出井さんの冷静なツッコミと楢原さんの独特なボケのバランスは、ファンから高い支持を受けるようになりました。
2024年5月には、大手メディアで一般女性との結婚を生報告しました。
出会いは居酒屋で、3年前に偶然出会ったのがきっかけとのことです。
出井さんは「この人のために頑張ろうと思えた時が決め手だった」と語っており、家庭を持ちながらも芸人としての活動を続けています。
「この人のために頑張ろうとちゃんと思えた」
出典:CanCan.jp
ヤーレンズ出井さんの”諦めなかった芸人”のリアルは、須磨学園高等学校から甲南大学中退という高学歴の経歴を持ちながらお笑いの道を選び、空白の4年間や年間数百ステージという地道な努力を重ね、結婚という人生の転機を経ても漫才に打ち込み続ける姿勢にありました。
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まとめ
ヤーレンズ出井さんのM-1準優勝までの13年間と、諦めなかった芸人としてのリアルについてお伝えしました。
出井さんは2011年のコンビ結成から2023年のM-1準優勝まで、空白の4年間や年間数百ステージという地道な努力を重ねてきました。
高学歴という選択肢がありながらお笑いの道を選び、結婚という人生の転機を経ても漫才に打ち込み続ける姿勢は、多くの人に勇気を与えています。
2025年12月には3年連続でM-1グランプリ決勝進出を果たし、今後のさらなる活躍が期待されています。

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