M-1グランプリ初代王者として知られる中川家の剛さんと礼二さん。
そんな人気お笑いコンビの中川家ですが、実は過酷な子供時代を送っていたのでしょうか。
今回は、中川家の兄弟が経験した厳しい生活環境や衝撃的な出来事、そして彼らの才能の芽生えまでを詳しくお伝えします。
中川家の過酷な幼少期から、現在の人気お笑いコンビに至るまでの道のりを一緒に見ていきましょう。
中川家の子供時代は過酷だった?

人気お笑いコンビとして活躍する中川家の剛さんと礼二さん。
そんな中川家の兄弟ですが、実は想像を超えるほど過酷な子供時代を送っていたのです。
極貧な生活環境
中川家の兄弟が育った家は、4畳半と6畳だけの狭いアパートでした。
さらに驚くべきことに、風呂がない家だったのです。
彼らは湯沸かし器のホースを玄関まで引いて、そこで体を洗う生活を送っていました。
一人ずつ順番に玄関で体を洗うという、現代では考えられないような生活環境だったのです。
夏には玄関がプール代わりになり、父親がプラスチックパイプに穴を開けて水が滝のように流れる装置を作っていたそうです。
中川家の兄弟の幼少期は、まさに極貧生活そのものだったようです。
衝撃的な火災事件
中川家の幼少期で最も衝撃的なのは、剛さんが7歳、礼二さんが6歳の時に起こした火災事件です。
剛さんの火遊びが原因で、アパートの一室を燃やしてしまったのです。
ふすまのほころびにマッチで火をつけたところ、予想以上に燃え広がってしまいました。
恐怖に駆られた剛さんは近くの公園に逃げ出し、礼二さんを家に残していったそうです。
普段は厳格だった父親が、黒焦げの家を見て崩れ落ちて泣いていたという、痛ましいエピソードも残っています。
この火災事件は、中川家の兄弟にとって忘れられない衝撃的な出来事となったようです。
中川家の幼少期から高校までの意外な出来事

数々の賞レースで優勝を果たしてきた中川家の剛さんと礼二さん。
そんな実力派コンビの中川家ですが、幼少期から高校時代にかけて意外な出来事を経験していたのです。
剛の交通事故
剛さんは小学1~2年生の頃、買ってもらったばかりの自転車で路線バスと正面衝突する事故に遭いました。
「バスの下に挟まれた」という危険な状況になりながらも、奇跡的に大きなケガはありませんでした。
しかし、この事故以降、剛さんは自転車を買ってもらえなくなってしまったそうです。
剛さんの幼少期は、このような危険な出来事も経験していたようです。
礼二の異常な鉄道愛
礼二さんは小学1年生の頃から、「出発進行!出発進行!」を毎日繰り返すという特異な行動を取っていました。
日曜日の朝7時半から昼食を挟んでもずっと「出発進行!」と言い続けていたそうです。
両親は「この子、頭がおかしいのでは?」と心配し、小学4年生の時に病院に連れて行ったほどでした。
医師に「息子が日曜日の朝から出発進行と言い続けるのは何という病気ですか?」と相談し、額にいろいろな検査器具を貼られて検査を受けたというエピソードもあります。
礼二さんの幼少期は、このような特異な行動で周囲を驚かせていたようです。
意外な才能の発見
このような環境の中で、中川家の兄弟は意外な才能を発見していきます。
特に礼二さんの得意芸である関西人の形態模写は、少年時代の人間観察から生まれたものです。
礼二の得意芸でもあるインパクトの強い関西人などの形態模写
出典:スポニチ
兄の剛さんが面白い人を見つけてきて「お前、あれやってみて」と言うのがきっかけだったそうです。
この経験が、後の芸人としての活動に大きく影響を与えることになりました。
中川家の兄弟の才能は、このような日常の中から芽生えていったのです。
まとめ
中川家の幼少期は、極貧生活、火災事件、交通事故、親の心配を呼ぶ特異な行動など、まさに過酷で波乱万丈なものでした。
しかし、これらの経験が後に彼らの芸の源泉となり、M-1グランプリ初代王者という栄光につながったのは、まさに「災い転じて福となす」の典型例と言えるでしょう。
特に礼二さんの鉄道への異常な愛情が親を病院に連れて行かせるほどだったのに、それが後に芸能界で活かされているのは本当に興味深いエピソードです。
中川家の兄弟の経歴は、困難な環境でも諦めずに自分の個性を磨き上げることの大切さを教えてくれる、素晴らしい例と言えるでしょう。
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